「災害はこちらから呼んで来るものではなく、向こうから突然来るもの。被災者と接するうちに、死者との関係性を置き去りにしたままでは震災を記録できないのではないかと考えるようになった」。関西学院大の金菱清教授(45)はそう説明する。1995年に阪神・淡路大震災を経験し、「強い印象が残っていたが、個人の身の丈にあった体験の記録が少ない」と感じていた。2011年の東日本大震災では、東北学院大の准教授(14年から教授)として、「震災をしっかり記録におさめよう」と調査・研究に取り組んだ。, ゼミの学生とともにまとめた『呼び覚まされる霊性の震災学』は、幽霊の目撃談で注目を集めた。学生が宮城県石巻市のタクシー運転手に幽霊現象について聞き取りを繰り返すと、こんな話があった。, 震災から3カ月ほどたった初夏の深夜、石巻駅周辺で真冬のコートを着た30代ぐらいの女性が乗車してきた。目的地をたずねると「南浜まで」と答えたので、「あそこはほとんど更地ですけど、かまいませんか」と聞くと、「私は死んだのですか」と震える声で話した。驚いて後部座席を見ると、誰も座っていなかった。, 他にも、8月なのに厚手のコートを着た20代ぐらいの男性客が、目的地に着いたときには姿がなかった話。8月の深夜にコートにマフラーをした小学生の女の子が手を挙げて乗車、運転手は迷子だと思い、女の子が答えた家の場所まで送りとどけると、「ありがとう」と言って降りたとたんに姿を消した話。そんな体験談が記されている。, こうした体験談には「思い込み」や「勘違い」とは言いきれない面がある。タクシーは人を乗せて走り出した時点でメーターを「実車」や「割増」に切りかえるため、乗せた「幽霊」は無賃乗車扱いになって運転手自ら肩代わりしており、記録が残っているという。, この本が新聞や雑誌で紹介されると、多くの反響を呼んだ。金菱さんは「幽霊の目撃談が科学的な調査の対象になるとは思っていたが、記事が出た後も非科学的といった批判はほとんどなく、学問としての共感が大きかった」と振り返る。, 東日本大震災後、さまざまな幽霊の目撃談が出た。死者・行方不明者が1700人を超える岩手県陸前高田市では、「何十人もの幽霊が道をふさいで車が渋滞した」という話もあった。そうした目撃談が相次いだ背景には、東北には「イタコ」や「オガミサマ」などの「口寄せ」信仰があり、「霊的なものに親和性がある」と分析されることもある。, しかし、金菱さんは「そうした考えもあるかもしれないが、私は懐疑的にとらえている」と話す。関東大震災や東京大空襲、広島・長崎の原爆、阪神・淡路大震災でも幽霊の目撃談はほとんどないとされているが、「調査が少なく記録として残っていないだけかもしれず、東北だけ幽霊が出るとは断定できない」という。, 金菱さんはゼミの学生が調査した「幽霊が出ない街」、宮城県気仙沼市の唐桑半島を例に挙げる。遠洋漁業が盛んな地域で、津波だけでなく海難事故による死者・行方不明者が多い。行方不明者を1週間程度捜索して、見つからなかった場合、漁場で指示を出すトップの漁労長が「死」を決め、家族に宣告する。津波の場合でも、のこされた人たちが「死」を社会的に受けいれ納得する文化があることで、「幽霊が出ない」のだという。, 「研究者は過去のデータや論文にあてはめて考え、幽霊のような話は不純物として扱うが、学生は被災地を歩き純粋に現場のデータを集めてくる。あてはめようとするほど合わないものが出てくる」と金菱さんは見る。, のこされた人と死者との関係性。そうした領域に金菱さんたちの調査が広がっていったのは、大切な人を亡くした被災者の手記『3.11慟哭の記録』をまとめたことがきっかけだった。, 金菱さんが出版された手記を手渡しに行くと、ほとんどの人がその本を大事に仏前や遺影の前に置いた。震災後、心理カウンセリングなどを受けていた人が多かったが、それで「心が楽になる半面、生き残った自分が大切な家族を忘れてしまうことに、罪悪感を抱え苦しんでいた」という。だが、本は死者との記憶を「冷凍保存することができる」。のこされた人の体験を記録しようと始めたが、「ずれていた」と感じた。「痛みを消し去ろうとするのではなく、大切なものとして痛みを温存する方法」として、亡くなった人に手紙を出すプロジェクトを始めた。, その手紙を集めた本『悲愛』を2017年に出版した。金菱さんは「それまで何百人の話に耳を傾け、震災に向き合ってきたつもりだったが、それは『つもり』にすぎなかった。インタビューでは聞かれたことに答えるが、手紙には本当に伝えたいことを、当事者にとって大切な意味があることを書く。そうした私的な感情は、災害の記録では省かれてしまう」と説明する。, 『悲愛』で手紙を書くよう頼んだ人に、「書きたくても書けない」という震災で6歳の娘を亡くした母親がいた。金菱さんが理由をたずねると、震災当時はほとんど漢字が読めなかった娘も年齢を重ねれば読めるようになっているはずで、当時の娘に平仮名で書くべきか、成長した娘に漢字で書くべきか、そこから迷い始めて書き進められなくなるという。金菱さんは「年月がたてば少しは癒やされるかと思ったが、時間がたつほど重たくなる問題がある。遺族が向き合わざるをえない『二重の時間』の残酷さに気づかされた」と話す。, また、手紙を読んでいて、亡くなった人が「夢に出てきた」という記述が多いことに気づいた。なぜだろうか。被災者と接しているうちに、「亡くなった大切な人が夢に突然やってくるのをプレゼントとして喜んでいる」と感じた。, 今度は、ゼミの学生とともに被災者の夢を聞くプロジェクトに取り組んだ。それをまとめた『私の夢まで、会いに来てくれた』を18年に出版した。金菱さんは「タイムマシンのように亡くなった人が出てくる夢に救われていた。災害の記録は、どうしても男性的な強いものが多い気がする。『女性や子ども』の記録。それが夢なのではないか」と語る。, 幽霊から手紙、そして夢。「のこされた人と死者とのつながり」を記録し続ける金菱さんは、震災からの10年にこんな印象を持っている。「復興の名のもと『過去をなきものにする』圧力を感じる。死者と生者の織りなす世界を展開している能楽のように、死者として葬るのではなく、永遠のときを生きる、死者とともに時間を自分たちのペースに合わせて進めていくことができるのではないか」, いま金菱さんは、被災者が10年前の自分に手紙を書くプロジェクトを進めている。『永訣』と題して1月末に出版される予定だ。(星野眞三雄), かねびし・きよし 1975年、大阪府生まれ。2004年、関西学院大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。社会学博士。東北学院大教授を経て、20年から関西学院大教授。, 相次ぐ災害、事件・事故、そして新型コロナウイルス。人は不条理ともいえる悲しみにどう向き合い再生していこうとしているのでしょうか。悲嘆にくれ、喪失感を抱えながらも、前を向いていこうとしている人たちがいます。心のレジリエンス(復元力)とは何かを考えてみました。(特集カバー画像は岩波友紀氏撮影), おすすめのニュース、取材余話、イベントの優先案内など 「大川小学校の悲劇」教師で唯一生き残った教諭の説明が真っ赤な嘘!津波で児童74名犠牲!「東日本大震災」子どもの命より先生、教育委員会の名誉が大事!休暇で難を逃れた校長も捜索活動には加わらず、校内で金庫などの貴重品を必死に探していたという! 「東日本大震災発生時に0歳だった赤ちゃんが、無事にハタチを迎えるその日まで。」そんなコンセプトの下、2011年に立ち上げた公益社団法人「ハタチ基金」 活動10年目の節目に写真と動画でこれまでのあゆみと今後の活動をご紹介します 2011年の東日本大震災では、東北学院大の准教授(14年から教授)として、「震災をしっかり記録におさめよう」と調査・研究に取り組んだ。 ゼミの学生とともにまとめた『呼び覚まされる霊性の震災学』は、幽霊の目撃談で注目を集めた。 東日本大震災から1ヶ月経とうとしていた4月9日、 「東日本大震災チャリティー演技会 ~復興の街、神戸から~」が開催され、※田村 岳斗さんのコラム 招待された結弦くんは、 震災後初めて、 観客の前で … 「GLOBE+」を一層お楽しみいただけるサービスをご提供します。, おすすめのニュース、取材余話、イベントの優先案内など テイラーは読書が大好きだった。時間さえあれば、本が作り出す世界の中で想像を膨らませていた。この好奇心がテイラーと日本と結び付けた。彼女の情熱を分かち合うようになり、私たちは彼女の世界を日本の皆さんと分かち合いたいと考えた。 テイラーが「JETプログラム」(※1)の参加者(英語指導助手)として石巻で教えていた7つの小中学校・幼稚園に文庫を作ったのもそのためだ。文庫のために地元の木工作家の遠藤伸 … 東日本大震災で、宮城県で被災したイラストレーターのアベナオミさんが2016年、熊本地震の直後にTwitterで公開した一枚の絵が話題になった。. 日本では、地震や水害などさまざまな災害が毎年起こっており、時折、大規模な災害が発生する。 1995年1月17日に起きた、淡路島沖、明石海峡を震源として発生したM7.3の地震は、「阪神・淡路大震災」として、神戸を中心に大きな被害をもたらした。 今から20年前、私たちの活動は阪神・淡路大震災を契機に始まりました。あの震災から20年を迎える今年。ハタチ基金が公益法人となることの意味を深く感じています。20年前のあの震災の年に生まれた子どもたちは、今年で20歳。 ’に子どもたちを支えていただけないでしょうか。, ただいま「呼びかけ人」にお申し込みの方には、, これまで「被災地のため何かしたい」と思いながら行動に移せていなかったという方も、これを機に私たちの仲間として、無理なくできる支援を始めてみませんか?, ハタチ基金へのご寄付は税制優遇の対象となります。, ハタチ基金へのご寄付は税制優遇を受ける事ができます。, グループワークや発表をするための備品の購入や会場の確保、東北からの移動交通費や食事・宿泊代、運営スタッフの雇用など, 鮎裕教室 和のイラスト&スケッチ画展, 運営団体:公益社団法人ハタチ基金, 認定特定非営利活動法人フローレンス, 特定非営利活動法人トイボックス, 公益社団法人チャンス・フォー・チルドレン, 認定特定非営利活動法人カタリバ. 東京医科歯科大学は1月18日、東日本大震災において被災し、家屋が全壊または流出した子どもは、未来の大きな利益よりも目先の小さな利益を選ぶ傾向が高いことを明らかにしたと発表した。 地震が来た。揺れと物の落下の中、3ヶ月の赤ちゃんを守る 宮城県仙台市の内陸部に住んでいて、長男が幼稚園、次男が3ヶ月のときに、東日本大震災を経験しました。 被災当時、長男は幼稚園、私は次男をベビーカーに乗せて駅ビルの昇りエレベーターの中にいました。 いちどきに1万5000人以上の人が亡くなった東日本大震災。死者をどう弔えばいいのか。そして、のこされた人との「最後の別れ」はどうあるべきなのか。次から次へと遺体が運ばれる悲惨な事態に直面したとき、そんな問いが突きつけられた。 「GLOBE+」を一層お楽しみいただけるサービスをご提供します。, このWebサイトの全ての機能を利用するためにはJavaScriptを有効にする必要があります。, 死んだペットが10万ドルでよみがえる(文字どおり) クローン犬誕生の現場に立ち会った【動画あり】, 【募集終了】これからのビジネスコミュニケーションを考える「GLOBE+ TALK」10月3日(木)開催!. 6434人が亡くなった阪神・淡路大震災から17日で26年です。 神戸市など大きな被害を受けた地域では、新型コロナの感染防止策をとりながら犠… 東日本大震災活動 2016/3/11被災者30人と共にお祈りののち点灯 東日本大震災から5年、松山市の石手寺で福島県などから県内に避難している人たちが集まって犠牲者を追悼し、震災の記憶を愛媛県の人たちも忘れないでほしいと訴えました。 東日本大震災被害と子どもの時間選好性の関係解明を目的に. 世界最高齢バイオリニストとしてクラシック音楽界に影響力を与え続けた巨匠イブリー・ギトリスさんが昨年12月24日、98歳で亡くなった。東日本大震災直後、本県などの被災地に幾度も足を運び、慈善演奏を展開。パリの墓地に埋葬される際には、陸前高田市の… 東日本大震災、そのとき葬儀社は 遺体を見せるか見せないか、今も悩み消えない(globe+)いちどきに1万5000人以上の人が亡くなった東日本大震災。死者をどう弔えばいいのか。そして、のこされた人との「最後の別れ」はど… 1 東日本大震災における石巻市で亡くなった方の 津波襲来時の居場所および行動に関する調査 三上 卓1・後藤 洋三2・佐藤 誠一3 1正会員 (株)エイト日本技術開発東京支店保全・耐震・防災部(〒160 -8601 東京都中野区本町5 33 11) E-mail:mikami.taku@gmail.com